プラモデルの話

 

私が初めて作ったプラモデルは、5〜6歳の頃、お盆に父に買ってもらったアリイの1/600戦艦大和だった。

どういう訳かおもちゃ屋に行くことになり、これはどうだと父の勧めるまま購入に至った・・ような気がする。

確か率先して塗料なりうすめ液なりを手に取っていたはずだ。

しかし、部品点数の多い艦船模型である。どう考えても5歳児に組み立ては難しい。

祖母の家の縁側で二人、私は父に手伝われつつ、2、3日の格闘の末なんとか完成にこぎつけた。

そしてその日、出来上がった大和を近所の小川で走らせてみることにした。

なんと、この大和は内蔵のモーターで水上を走らせることができるのだ。

私は川へ向かう途中、大和が水の流れに逆らって勢いよく走る姿を想像していた。

しかし実際はそうはいかなかった。

少しずつ川の流れに負け、向きを変えながら下流の方へ走っていく。

おもちゃでは小川の流れにすら立ち向かえないのか、と現実の厳しさを学んだ瞬間である。

その後回収した大和を手に祖母の家に戻ると、なんと艦橋トップの15m測距儀が無くなっていることに気づく。

大和のアイコンといえば世界最大の46cm3連装砲にバルバス・バウ、傾斜煙突にマスト、そしてこの測距儀である。

もちろん当時5、6歳の、しかも「大和って何それおいしいの?」状態だった私にはそのような知識は一切なかったのだが、「大和の格好良さを構成する要素が何なのか」については本能的に理解していたようで、そのショックたるや尋常ではなかった。

私は魂が抜けたような大和を前にし、力の限り測距儀を探し回った。

しかし、それはついに見つかることはなかった。

 

これが私の初プラモの思い出である。

今思えばあれは私のために買ってくれたというより、父がなんとなく作りたかったものに私を巻き込んだのではないかと思う。

ちなみに大和の測距儀(21号電探含む)であるが、後日TVで放映していた映画「連合艦隊」にてその重厚感あふれる動きを目にし、私はいつか家に本物を置きたいと妄想を膨らませる変態少年(当時はまだアレがついていた)へと拗らせ進化していく。

その後は小学生の間だけでもタミヤの1/48零戦各種、ニチモ30cmシリーズ(たぶん10隻近く作った。そして沈めたw)、ハセガワ1/450赤城、タミヤの1/250武蔵、ニチモ1/500陸奥、ミツワのリモコン戦車など、思い出せばキリがないほど作った。

当時はまだプラモデルが安く、タミヤの48零戦なら1000円程度、ニチモ30cmなんて600円で買えたので、1500円を超えるものは高級品、といった感じの脳内レートである。

うちは小遣い制ではなかったので親に強請ること度々であったが、赤城や武蔵など大型のものはクリスマスの機会に限られたものの、値段のせいかそれなりに買って貰えたのは大変有り難かった。

 

そして高学年になると第二次ミニ四駆ブームの波に飲まれ、その後ゲームボーイにはまりつつまたもや父主導の計画によりニンテンドウ64を購入するに至るのである。

お陰で中学生時代はもっぱらゲームと漫画に明け暮れるという末路(言い方が悪い)を辿ることとなり、プラモ道復活の狼煙が上がるのは高校生に上がる頃まで待たねばならないのだが・・・詳しい話は次回に続く。

 

 

・・はぁ、どこか酔狂なメーカーが15m測距儀のミニチュア特大モデル出してくれないかな。本物の測距儀内蔵で、頭にかぶって実際に使えたりすると最高なんですが。ニコンさん、100周年記念にどうでしょう??